昨日、ある文芸誌を読んでいて、好きな作家の新刊の書評が載っていた。興味深く読むも、いかんせん評者の文章が魅力的じゃ―――。おかげで読む気が失せ 悲しいね。
思えば、評論文や文庫の後ろに載っている解説でこれは面白い、というものに会った事がないことに そこで気付いた。自分だけだろうか?
石川淳の評論めいたものも題材は凄く面白くて興味深いのに、文章のせいで読むのに酷く苦戦した。

そこで思い出したけど、『モーダルな事象』に“小説は第一に筋を読むものではなく、文章自体を読むものです”という文があり、自分はどちらに重きを置いてるんだろう?と考えたけど、結局分からず。話で選んでる気もしたけど、文章で選んでる時もある。*好きな本とかの話

そこで思い出したけど、凄く好きなライターさんが居て、たまに読む文章にこの人やっぱり凄く面白いなあ良いなあ、とは思うんだけど、それはチョイスする題材であって、文章には全く魅力を感じてないんだよね。

そこで思い出したけど、最近見掛けたブログで文章自体には全く惹かれないけど、その素直な思ったままをのほほんと書く文には凄く好感を覚えたて、何だかカルチャーショックを受けたのでした。

普通の人ならそれは書くの控えるだろ、っていう単語や内容の文もその人だと全く悪意が感じられないというか。それって凄いよなー と感嘆していた数日でした。