認めたくないけれど多分にひねくれている部分があるので、物事を絶対的よりも相対的に見てしまう。
そういう思考が嫌だなあと自己嫌悪を抱きながら、絶対評価をできる人に感心しつつ、絶対的な思考を持つ人達にもある種の危険を感じる。
ま、あるニュースを見て個の立場からしかソレを見てないんじゃないかと眉をひそめる。立場や優先事項は人なりでそれは勿論当たり前だけれど、ひとたび他の立場から見れば、貴方も侵しているよと。じゃあこう考えたら・比べたらこうでしょと。(ほら相対的、あれ違うか)
キレイゴトだけじゃ、世の中はまかりとおらない。
でもそう考えてしまったら、人間が例えばドラキュラに襲われても文句は云えない、ドラキュラは悪者じゃないって話になっちゃうんだけど。(人間は牛食べるし。もっと言ったら草も生きてるとかなっちゃう) THE矛盾。うぐ、行き詰まって僕の誤りですか。じゃーどうしよう、考えがまとまらない。かっこ悪。やっぱり主張すること自体に意義があるのかな。でも中身を煮詰めることも大事だ。
話はグイッとカーブして、「選挙は参加することに意義がある」って声明も何かチョット違う…と思ってしまう。それは大前提でしょ、参加するなら考えなさいよ、って。あなたのーっ一票がーっ左右するのだーってね。勧んで選んだ一票は重いよきっと。参加するしないは自由で参加しないなら文句言わなきゃいー訳だし。だから文句言いません。他人に期待しません。住みよい世界は自分で構築します←なんて素敵に個人主義。を展開?とか。これも矛盾しているようないまいちなんだよなあ。煮詰めます。


日記にまた自己嫌悪。多くのキッズのハートを掴んで歌いながら、主張なき主張を掲げていたクールなあの人を見習いたいぜ。
最初から実は答えがあったんですよね。主張なき主張が一番だって。理想と現実は別、善か悪かはこの際置いといて、好きか嫌いかって単純なハナシ。